【コラム】失ったスキルは「取り戻す」のではなく「新しく創り上げる」のだ

僕は人生で二度死にかけている。
どちらも大学生のとき、病気で1ヶ月ほど入院していた。
正直、その時のことは、あまりはっきり覚えていないのだが、
朦朧とした意識の中、看病のためについていてくれた父と話した中に、今でも印象に残っているものがいくつかある。
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父は昔からよく漫画やアニメの話をしてくれた。
その日は、突然ワンピースの話をし始めた。
父は、アラバスタ編のラスト、国王コブラの台詞が好きらしい。
「失ったものは大きく、得たものはない。
だが、これは前進である。戦った相手が誰であろうと、戦いは起こり今終わったのだ。
過去を無きものになど誰にもできはしない!
…この戦争の上に立ち生きてみせよ!アラバスタ王国よ!」
引用元:ワンピース 第211話”王”
アラバスタ王国は、王下七武海クロコダイルの陰謀により内乱を起こし、めちゃくちゃにされた。
最終的に、ルフィやビビたちの奮闘によって、事態は終息するのだが、すでに多くの血が流れ、戦争を未然に食い止めるには至らなかった。
この台詞は、身も心も疲れ果て、自分たちが犯した過ちを悔い、怒る矛先を失った国民たちを前に、
アラバスタ王国 国王ネフェルタリ・コブラが言い放った名演説の一節である。
人は生きていると必ずなにかを失う。
保険会社に務める父は、仕事柄、病気や事故などで人生の中で大きなものを失ってしまった人をたくさん見てきた。
病気で失ったものはあれど、得たものはない。
そんなとき、コブラの台詞を思い出すのだそうだ 。
失ったものを「取り戻す」のではない、その上に立ち「新しく創り上げる」のだと。そして、生きてみせなければならないのだと。
病気で死にかけ、少しずつ回復して会話ができるようになった僕に、父は言った。
「しげきは、今回の入院で本当に死ぬんじゃないかと思った。
でもなんとか色んな人に助けてもらって、色んなものを失ったけど、なんとか治りそうなところまで来た。
失ったものを取り戻そうって思っていると、無いものばかりが目についてしんどくなるから、新しく創り直そうって思って生きていくほうがいい。
アラバスタ王国と同じように、たくさんのものを失って、得たものはないかもしれないけど、しげきならその上に立って生きてくれると信じてる。」
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コロナの影響で、しばらくアカペラは出来ていないし、家で歌うこともない。
ボーカルパーカッションだって、やってなければ腕は落ちるし、グループの練習をしてなければハモらなくなることだってあると思う。
でも、僕は、何かを失い、それまで普通に出来てたことが出来なくなる度に、コブラの台詞を思い出すのだ。
失ったスキルは「取り戻す」のではなく「新しく創り上げる」
今まで歌えていたものが歌えなくなった。
でも、今ボイトレに通い直して、正しいスキルを身につければもっといい自分に出会えるかもしれない。
アレンジのスピードが落ちた、モチベーションが上がらない。
でも、今理論を勉強しなおしておけば、復活したときにもっといい楽譜がかけるかもしれない。
中止になったライブは数しれず、世の中にはサークルの卒業ライブもろくに出来なくて悔しい思いをした人がたくさんいることだろう。
出たかったライブはもう戻らないかもしれない。
でも、だからこそ共演したいグループに声をかけて、それまでより大きなライブハウスを借りてライブを企画できるかもしれない。
無いものよりもあるものに目を向けろとは思わない、無いものはない。できないことはできない。
けど、僕たちはコロナによって変わっていく社会の上に立っていくしかないから、
僕たちは「取り戻す」のではなく「その上に立って生きる」のだ。
病気で普通に歩くこともままならず、物もきちんと見えなくなった僕でさえ、今は家庭を持ち、娘が生まれ、幸せに暮らしている。
アカペラだって、イチから練習し直して、当時よりも上手くなったと思う。
今思えば、身体が思うように動かなかったからこそ、本当にパーカッションがやるべき役割を考えるきっかけになったようにも思う。
コロナが明けて、久しぶりにグループで歌ったときには、きっとあんまりうまくいかないんだろうけど、
また新しいグループの始まりだと思って、イチから頑張りたいと思う。
かつてのアラバスタ王国のように。